此(仁徳天皇)の御世に、免寸(とのき)河の西に一つの高樹有りき。その樹の影、旦日(あさひ)に当れば、淡道(あはぢ)島に逮(およ)び、夕日に当れば、高安(たかやす)山を越えき。
 故、是の樹を切りて船を作りしに、いと捷(はや)く行く船なりき。時に其の船を号(なづ)けて枯野(からの)と謂ひき。
 故、是の船を以ちて旦夕、淡道島の寒泉(しみづ)を酌(く)みて、大御水(おほみもひ)獻りき。
 この船、破(や)れ壊(こぼ)れて塩を燒き、其の燒け遺りし木を取りて琴に作りしに、其の音七里に響(とよ)みき。爾に歌曰ひけらく、
   枯野(からの)を 鹽に燒き
   しが余り 琴に作り
   かき彈くや
   由良の門(と)の 門中(となか)の 海石(いくり)に
   觸れ立つ 浸漬(なづ)の木の さやさや
とうたひき。此は志都(しつ)歌の歌ひ返しなり。

由良の門

上下は淡路島の由良港の北側入口にあたるところ

由良湾を南側から望む 左手が港

由良湾の南側から友が島を望む