後に豐玉姫、果(はた)して前(さき)の期(ちぎり)の如く、
其の女弟(いろど)玉依姫(たまよりびめ)を将ゐて、直(た
だ)に風波を冒(をか)して、海辺(うみへた)に来到(きた)
る。臨産(こう)む時に逮(およ)びて、請(こ)ひて、曰(まう)
さく、「妾(やつこ)産(こう)まむ時に、幸(ねが)はくはな看
(み)ましそ」とまうす。
 天孫(あめみま)猶忍(しの)ぶること能(あた)はずして、竊
(ひそか)に往(ゆ)きて覘(うかが)ひたまふ。
 豐玉姫、方(みざかり)に産(こう)むときに龍(たつ)に化為
(な)りぬ。而して甚だ慙(は)ぢて曰はく、「如(も)し我を辱
(はづか)しめざること有りせば、海陸(うみくが)相通(かよ)
はしめて、永(なが)く隔絶(へだてた)つこと無からまし。今
既に辱(はぢ)みつ。将に何を以てか親昵(むつま)しき情
(こころ)を結(むす)ばむ」といひて、乃ち草(かや)を以て児
(みこ)を裹(つつ)みて、海辺に棄(す)てて、海途(うみの
みち)を閉ぢてただに去(い)ぬ。
 故、因(よ)りて児を名(なづ)けまつりて、彦波瀲武ウ草葺
不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)と曰す。
                    (『日本書紀』第十段本文)

彦波瀲武ウ草葺不合尊(ひこなぎさたけ
うがやふきあへずのみこと)、其の姨(をば)玉依姫を以て
妃(みめ)としたまふ。彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生
(な)しませり。次に稻飯命(いなひのみこと)。次に三毛入
野命(みけいりののみこと)。次に神日本磐余彦尊(かむ
やまといはれびこのみこと)。凡(すべ)て四はしらの男(ひこ
みこ)を生(な)す。久しくましまして彦波瀲武ウ草葺不合尊、
西洲(にしのくに)の宮に崩(かむあが)りましぬ。因りて日向
(ひむか)の吾平山上陵(あひらのやまのうへのみさざき)に
葬(はぶ)りまつる。(日本書紀本文第十一段)

鵜戸神宮