橘(たちばな)

天皇、三宅連等の祖、名は多遲摩毛理(たぢまもり)を常世の国に遣はして、登岐士玖能(ときじくの)迦玖能木實(かくのこのみ)を求めしめたまひき。故、多遲摩毛理、遂に其の国に到りて、其の木実を採りて縵八縵(かげやかげ)、矛八矛(ほこやほこ)を将(も)ち来りし間に、天皇既に崩(かむあが)りましき。爾に多遲摩毛理、縵四縵、矛四矛を分けて、大后に献り、縵四縵、矛四矛を天皇の御陵の戸に献り置きて、其の木(の)實をささげて、叫び哭きて白ししく、「常世国の登岐士玖能迦玖能木実を持ちて參上りて侍(さもら)ふ。」とまをして、遂に叫び哭きて死にき。其の登岐士玖能迦玖能木実は、是れ今の橘なり。
                           (垂仁記)

 天皇、日向国の諸縣(もろがたの)君の女、名は髮長比売、その顏容麗美(うるは)しと聞しめして、使ひたまはむとして喚上(めさ)げたまひし時、その太子大雀命、その孃子の難波津に泊てたるを見て、其の姿容の端正(うるは)しきに感(め)でて、即ち建内宿禰大臣に誂へて告りたまひけらく、「この日向より喚上げたまひし髪長比売は、天皇の大御所に請ひ白して、吾に賜はしめよ。」とのりたまひき。爾に建内宿禰大臣、大命を請へば、天皇即ち髮長比賣を其の御子に賜ひき。賜ひし状は、天皇豊明(とよのあかり)聞しめしし日に、髮長比賣に大御酒の柏を握(と)らしめて、その太子に賜ひき。爾に御歌曰みしたまひしく、
  いざ子ども 野蒜摘みに
  蒜摘みに 我が行く道の
  香ぐはし 花橘は
  上枝(ほつえ)は 鳥居枯らし 
  下枝(しづえ)は 人取り枯らし
  三つ栗の 中つ枝の
  ほつもり 赤ら孃子を
  いざささば 良らしな
とうたひたまひき。
                           (応神記)
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