竹(たけ)

    東歌・相聞
植竹
の 本さへ響(とよ)み 出でて去なば 何方(いづし)向きてか 妹が嘆かむ(十四ー三四七四)

 昔老翁(おきな)ありき。號(な)を取(たけとり)の翁と曰(い)ひき。此の翁、季春の月にして、丘に登り遠く望むときに、忽に羹(あつもの)を煮る九箇(ここのはしら)の女子(をとめ)に値(あ)ひき。百嬌儔(たぐひ)無く、花容止(やむこと)無し。時に、娘子等(をとめら)老翁を呼び嗤ひて曰はく、叔父來りて此の燭(そく)の火を吹けといふ。ここに翁唯唯(をを)と曰(い)ひて、漸(やや)く★(おもむ)き徐(やや)く行きて座の上に着接(まじは)る。良(やや)久にして娘子等皆共に咲(ゑみ)を含み相推讓(おしゆづ)りて曰はく、阿誰(たれ)か此の翁を呼べるといふ。爾乃(すなはち)竹取の翁謝(こた)へて曰はく、慮(おも)はざるに偶(たまたま)神仙(ひじり)に逢へり、迷惑(まと)へる心敢へて禁(さ)ふる所なし。近づき狎れし罪は、希はくは贖ふに歌をもちてせむといふ。すなはち作る歌一首 短歌を并せたり(十六ー三七九一の題詞)

竹の種類は多い。孟宗・淡竹は筍を食用にする。真竹も含めて竹細工に用いられる。布袋竹は根元が膨らんだ細い竹で昔は釣り竿に用いられた。

京田辺市大住の手入れされた孟宗の竹林

亀型石造物上方の孟宗の竹薮

淡竹(はちく)ーきめが細かく細工に用いられる孟宗の筍の終わった後、関西では淡竹の赤みを帯びた筍が出回る。

真竹・呉竹ープラスチックのトレイの出る前、この竹の皮が肉屋で肉を包むのに用いられた。竹細工にも用いられる。

 写真は二葉を除き同志社女子大学構内で撮った。
 関西では、「八幡の薮知らず」という諺があったが、今はその言葉が死語になるほど、竹薮は住宅地に変貌した。
 八幡の南に続く竹藪が南山城にも多くあり、同女構内にも荒れながら一部遺っている。同女のある京田辺市は筒木垂根王とこかかわる地とみられる。