寄物陳思
吾が屋戸の 穂蓼古幹 摘み生ほし 実になるまでに君をし待たむ
(巻十一ー二七九五)
おおけたで=兵庫県朝来郡和田山町で
おおけたで=奈良県立萬葉文化館の近くで
いぬたで 奈良県立万葉文化館の近くで
萬葉とは関係ないことだが、蓼は小生の子供の頃から親しい植物であった。その頃、故郷の川原には砂地が広がり、上のような種の蓼が多く生えていた。川はその後、建設省が底をさらえたため、砂や石が少なくなってしまい、蓼も月見草も瞿麥も一緒になくなり、千鳥もいなくなった。夏も水が枯れることはなくなったので、昔はなかった葦ばかりが茂り、よしきりが鳴くようになった。子供の頃、水涸れの時期になると、川遊びに熱中したが、蓼を用いたのは川魚取りである。蓼の生汁は刺激性が強い。川の流れをせき止めて溜まりになったところや、夏涸れで竹藪の根元などにできた水溜まりに、蓼を集めて石で叩き潰したものを放り込むと、魚が浮き上がってくるのである。鯰などが捕れると嬉しかったものである。最大の漁果は大きな鯰十一匹他であったのを今でも覚えている。
平城宮跡で 背景は朱雀門