行燈山古墳(崇神陵)

 爾に天の下、太(いた)く平らぎ、人民(たみ)富み榮えき。是に初めて男の弓端(ゆはず)の調、女の手末(たなすゑ)の調を貢らしめたまひき。故、其の御世を稱(たた)へて、初国知らしし御眞木天皇(みまきのすめらみこと)と謂ふ。
 また是の御世に、依網(よさみの)池を作り、また軽(かる)の酒折(さかをり)の池を作りき。
 天皇の御歳、壱壹佰陸拾捌歳(ももあまりむそぢまりやとせ)〈戊寅の年の十二月に崩りましき〉。
 御陵は山辺の道の勾(まがり)の岡の上に在り。

傾斜地に作られているので、周溝は階段状を呈するが最下段の部分は
農業用の貯水池として整備され、広くなっているようである。