故、其地を號けて三重と謂ふ。
其れより幸行(い)でまして能煩野(のぼの)
に到りましし時、國を思(しの)ひて歌曰(うた)ひたまひしく、

  倭(やまと)は国のまほろば
  たたなづく  青垣(あをかき)
  山隱(やまごも)れる 倭しうるはし

とうたひたまひき。又歌曰ひたまひしく、
  命の全(また)けむ人は
  疊薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の
  熊白梼(くまかし)が葉を
  髻華(うず)に插せその子

とうたひたまひき。此の歌は国思(くにしの)ひ歌なり。又歌曰(うた)ひたまひしく、
   愛(は)しけやし 吾家(わぎへ)の方よ
  雲居(くもゐ)起(た)ち來(く)も

とうたひたまひき。此は片歌(かたうた)なり。
此の時御病(みやまひ)甚(いと)急(には)か
になりぬ。爾に御歌曰(よ)み
したまひしく、
   孃子(をとめ)の床(とこ)の邊(べ)に
  我(わ)が置きし つるぎの大刀(たち)
  その大刀はや

と歌ひ竟(を)ふる即ち崩(かむあが)りましき。爾に驛使(はゆまづかひ)を貢上(たてまつ)りき。
 是に倭に坐す后等(きさきたち)及(また)
御子等(みこたち)、諸(もろもろ)下(くだ)
り到りて、御陵を作り、即ち其地(そこ)の那豆岐田(なづきだ)に匍匐(は)ひ廻(もとほ)
りて、哭爲(なきま)して歌曰(うた)ひたま
ひしく、
  なづきの田の 稻幹(いながら)に
  稻幹に 匍(は)ひ廻(もとほ)ろふ
  野老蔓(ところづら)

とうたひたまひき。

能煩野陵