牟婁の温湯

 (三年)九月(ながづき)に、有間皇子、性(ひととなり)黠(さと)くして陽狂(うほりくるひ)すと、云云(しかしかいふ)。牟婁温湯(むろのゆ)に往(ゆ)きて、病を療(をさ)むる僞(まね)して来(まうき)、国の体勢(なり)を讚めて曰はく、「纔(ひただ)その地を観るに、病自づからに●消(のぞこ)りぬ」と、云云。天皇、聞しめし悦(よろこ)びたまひて、往(おは)しまして観(みそなは)さむと思欲(おもほ)す。                          (『日本書紀』斎明天皇三年条)
 四年冬十月の庚戌の朔甲子に、紀の温湯に幸す。                   (『日本書紀』斎明天皇五年条)
  〈この間に有間皇子の謀反事件あり〉
 五年の春正月の己卯の朔辛巳に、天皇紀の温湯より至りたまふ。          (『日本書紀』斎明天皇五年条)