橘寺
同志社女子大構内
普賢寺の道路脇(同一の木)
天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首
吾妹子が 見し鞆の浦の 天木香樹は 常世に有れど 見し人ぞなき (3−446)
鞆浦の 礒の室木 見むごとに あひ見し妹は 忘らえめやも (3−447)
礒の上に 根蔓ふ室の木 見し人を 何づらと問はば 語り告げむか (3−448)
右三首過鞆浦日作歌
詠玉掃鎌天木香棗歌〔長忌寸意吉麻呂歌八首(7)〕
玉掃 苅り來鎌麻呂 室の樹と 棗が本を かき掃かむため (16ー3830)
小生の田舎(但馬)ではこの木を「ねずみさし」と呼んでいた。鼠除けにもちいたのであろうか。葉の棘は鋭い。まだ蚊帳を利用し、蚊取り線香などが自由に手に入らない戦後まもなくの時代には蚊遣りに、夏の夕方の、家の外でこの木の葉をふすべていたものである。