吉野宮滝

   吉野の宮に幸しし時、柿本朝臣人麿の作る歌
やすみしし わご大君の 聞し食(め)す 天の下に 国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の國の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷(ふとし)きませば 百磯城(ももしき)の 大宮人は 船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激(たぎ)つ 瀧の都は 見れど飽かぬかも                     (一ー三六)
   反歌
見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の 絶ゆることなく また還り見む                   (一ー三七)

やすみしし わご大君 神(かむ)ながら 神さびせすと 吉野川 激(たぎ)つ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 國見をせせば 疊(たたな)づく 青垣山 山神(やまつみ)の 奉る御調(みつき)と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり〈一に云ふ、黄葉(もみちば)かざし 〉 逝き副ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも                     (一ー三八)
   反歌
山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内(かふち)に船出せすかも                    (一ー三九)
    右、日本紀に曰はく、三年己丑の正月、天皇
    吉野の宮に幸(いでま)す。八月吉野の宮に
    幸す。四年庚寅の二月、吉野の宮に幸す。
    五月吉野の宮に幸す。五年辛卯の正月、
    吉野の宮に幸す。四月吉野の宮に幸すと
    いへれば、未だ詳らかに何月の從駕(おほ
    みとも)に作る歌なるかを知らずといへり。