御綱柏(みつながしわ)

此れより後時、大后豊楽(とよのあかり)したまはむと為
(し)
て、御綱柏(みつながしは)を採りに、木国(きのくに)
幸行
(い)でましし間に、天皇、八田若郎女と婚(まぐは)
したまひき。是に大后、御綱柏を御船に積み盈
(み)てて、
還り幸でます時、水取司
(もひとりのつかさ)に駈使(つか)はえ
し吉備国の児島の仕丁
(よぼろ)、是れ己が國に退(まか)るに、
難波の大渡に、後
(おく)れたる倉人女(くらびとめ)の船に
遇ひき。乃ち語りて云ひしく、「天皇は、比日
(このごろ)
八田若郎女と婚ひしたまひて、昼夜
(ひるよる)戲れ遊びますを、
(も)し大后は此の事聞し看(め)さねかも、靜かに遊び
幸行でます。」といひき。
爾に其の倉人女、此の語る言
(こと)
を聞きて、即ち御船に追ひ近づきて、状(ありさま)
(つぶ)さに、仕丁の言の如く白しき。是に大后大(いた)
恨み怒りまして、其の御船に載
(の)せし御綱柏は、悉に
海に投げ棄
(う)てたまひき。故、其地を号けて御津前
(みつのさき)
と謂ふ。   (仁徳記 石之日売皇后の出奔)

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