吉備池廃寺
(大官大寺の前身、百濟大寺か)

 (十一年)秋七月に、詔して曰はく、「今年、大宮及び大寺を造作(つく)らしむ」とのたまふ。すなはち百濟川(くだらがは)の側を以て宮処とす。ここを以て、西の民(おほみたから)は宮を造り、東の民は寺を作る。すでに書直(ふみのあたひ)縣(あがた)を以て大匠(おほたくみ)とす。(『日本書紀』舒明天皇)

(元年)九月の癸丑の朔乙卯に、天皇、大臣に詔して曰はく、「朕(われ)、大寺を起(おこ)し造らむと思欲(おも)ふ。近江と越(こし)との丁(よほろ)を発(おこ)せ」とのたまふ。〈百濟大寺(くだらのおほでら)ぞ。〉                  (『日本書紀』皇極天皇)

1997年3月1日に吉備池南堤東部の発掘説明会の折りの写真