高千穂の二上の峯

一書に曰はく、高皇産靈尊、眞床覆衾(まとこおふふすま)を以て、天津彦國光彦火瓊瓊杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと)に裹(き)せまつりて、すなはち天磐戸(あまのいはと)を引き開け、天八重雲(やへたなぐも)を排分(おしわ)けて、降(あまくだ)し奉る。時に、大伴連の遠祖天忍日命(あまのおしひのみこと)、來目部の遠祖天★〈木+患〉津大來目(あめくしつのおほくめ)を帥(ひき)ゐて、背(そびら)には天磐靫(いはゆき)を負ひ、臂(ただむき)には稜威(いつ)の高鞆(たかとも)を著(は)き、手には天梔弓(あまのはじゆみ)・天羽羽矢(あまのははや)を捉り、八目鳴鏑(やつめのかぶら)を副持(とりそ)へ、又頭槌劒(かぶつちのつるぎ)を帶(は)きて、天孫の前に立ちて、遊行(ゆ)き降來(くだ)りて、日向(ひむか)の襲(そ)の高千穗の★〈木+患〉日(くしひ)の二上峯(ふたがみのたけ)の天浮橋(あまのうきはし)に到りて、浮渚在之平地(うきじまりたひら)に立たして、膂宍(そしし)の空國(むなくに)を、頓丘(ひたを)から国覓(ま)ぎ行去(とほ)りて、吾田(あた)の長屋の笠狹(かささ)の御碕(みさき)に到ります。〈紀神代・天孫降臨条一書第四〉