△冬十月に、百濟の聖明王、〈更の名は聖王。〉西部(せいほう)姫氏(きし)達率(だちそち)怒●斯致契等(ぬりしちけいら)を遣(まだ)して、釋迦佛の金銅像一躯・幡蓋若干・經論若干卷を獻る。別に表して、流通し禮拜む功徳を讚めて云さく、「是の法は諸の法の中に、最も殊勝れています。解(さと)り難く入り難し。周公・孔子も、尚し知りたまふこと能(あた)はず。此の法は能く量も無く邊(かぎり)も無き、福徳果報(いきほひむくい)を生し、乃至ち無上(すぐ)れたる菩提を成辨(な)す。譬へば人の、隨意寶(こころのままなるたから)を懷(いだ)きて、用(す)べき所に遂(したが)ひて、盡に情の依(まま)なるが如く、此の妙法(たへなるのり)の寶も然(しか)なり。祈り願ふこと情の依にして、乏しき所無し。且夫れ遠くは天竺より、爰に三韓に■(いた)るまでに、教に依ひ奉(う)け持(たも)ちて、尊び敬はずといふこと無し。是に由りて、百濟の王臣明、謹みて陪臣(はべるまへつきみ)怒●斯致契(ぬりしちけい)を遣して、帝國に傳へ奉りて、畿内に流通(あまねは)さむ。佛の、我が法は東(ひむがし)に流(つたは)らむ、と記(のたま)へるを果(はた)すなり」とまうす。

仏教伝来伝承地

碑の建っている場所は泊瀬川の右岸。ここを北に行くと海石榴市、左岸を東南に行くと磯城嶋金刺宮の伝承地の水道局の所へ行く。水道局の敷地内にあった保田與重郎の磯城嶋金刺宮の碑は余所に移されている。桜井市の文化行政はどうなっているのと思ってしまう。